2011年4月7日木曜日

4月は始まりの季節

世間的にも,いろんなものが始まっている.

就活も延期したところもあったが,
西のほうは続いている模様.

学校ももうすぐ始まるし,
うちの大学院は今日新入生向けのガイダンスだった.

今日はバイトの帰りに満開くらいに咲いている,
小さな桜の木を見つけた.

春だなぁ.

しかし,自分がこうしている間にも,
福島の原発の中で今も必死に作業をしている人,
避難所での生活を強いられている人,
それを支援する人,
復興活動に尽力している人,
物資を運んでいる人,
その他たくさんの人たちの手によって,
今の暮らしが支えられ,
新しい暮らしが作られようとしている.

まだ何も終わっていない,
これからが現実に向かい合うときなんだ.

また家族ネタですけど.

毎度家族ネタでサーセン.

最近自分ひとりだけで単身赴任なことと,
今後家族にとって何が幸せなのかってことでここんところずーっと電話で話してます.

同じ家族であっても,幸せを感じるポイントは違うし,
それぞれにタイミングってものがあって,
それらをうまく折り合いつけてくってのはなかなか大変なことだと思うのです.

とりあえずうちの嫁ちゃんと子ども達が自分の実家に避難しているわけなのですが,
うちの教育方針と自分の両親の孫に対してやってあげたいことにギャップがありすぎて,
嫁ちゃんが非常に困っているみたいなのです.

子どもたちに対して愛情を示してくれたりするのは非常にうれしいけど,
それをモノやお金って形だけで表すのは非常に残念.

それはうちにとっては No, thank you. なんですから.

もっと別な形で表現してくれると,うちとしては受け取りやすいんだけどな・・・.

自分も一緒に住んでたらもう少し間に入ってなんとか話し合えそうなんだけど,
今は一緒にいないので,もう少し嫁ちゃんにがんばってもらわねば.

うちって変わってるのかな?と思いつつ,やっぱり変わっているのだと思う.
だってしょうがないよね.

普通じゃないんだから.

自分の両親も含め,なかなか理解してもらえない部分も多い.

普通にできたらどれだけ楽なことか.

自分もそうだけど.

できることなら普通に暮らしたいけど,
普通の中にいるとどうしても息苦しくなってしまうのは,
自分もそうだし嫁ちゃんや子ども達もそうなんだと思う.

まぁ,それをいうなら普通って何よって話なんだと思うのだけど,
普通に大学出て,院に行くなら行って,企業に普通に就職してってことが
当たり前にできるなら何も困らないし,悩んだりしないよね.

自分はそこにとても違和感を感じている.

なにか,どうしても違和感を感じている自分がいるのに,
それを無視してしまうと,きっとうつになったりしちゃうんだと思う.

自分自身は,自分がそうであるか別として,
それもとても大切なことだと思うし,
うつになるくらい自分にどっぷり向き合うようなことも必要なんだと思う.

人生の中で,自分の内面に深く深く入り込む時期が1年や2年,
場合によってはもっとあってもいいと思う.

違和感を無視すると,きっとどこかにひずみが生まれる.

生まれたひずみは痛みや苦しみに変わる.

とげでも刺さっているみたいに,
そこに触れるたびにチクチクと痛むんだ.

それでも無視し続けると,化膿して,
身動きが取れなくなるくらい苦しくなる.

でもそれって,ホントはやりたいことがあるってことだろうし,
希望があるってことなんだと思う.

それが満たされなくて,どうしてもそこはゆずれないから違和感があるんだろう.

違和感を感じているなら,無視しちゃいけないよね.

ここは違うと感じるなら,それは本当なんじゃないか.

そのとげは自分の中の「常識」や「普通」なんだと思う.

マジョリティがいつも正しいとは限らない.

自分はマイノリティでも,きちんと怖じ気ず,恥じずに意見を言いたい.

長くなったのでこの辺で.

2011年4月4日月曜日

ブログはじめた.

Dに勧められ,今日作って,今日から始めたブログ.

何を書くかねぇ.

今日あったことを書こう.

ついさっき,親父と話した.
内容は書けないけど,良い機会だった.
これからもいろいろ自分の考えていることをぶつけたいと思った.

でも,親父と深い話をする機会も今までそんなになかったし,
親父がどんなふうに考えているのか,それを知る機会だったのかもしれない.

ちょっと唐突過ぎたのは,反省.

やっぱり,コミュニケーションの基本は,
「理解してから,理解される」だ.

すっかり忘れて自分のことばかり話してしまった.
「俺が」「俺は」の前に親父の意見を聞くことも大切だ.

しかし,自分の意見がなかなか言葉にならない.
言葉にしてしまうと,限定されすぎて余計に伝わらない気がする.
「~だけど,これだけじゃない」みたいなそんな感じにしか言えない.
これだけじゃ相手が想像しているものと,
自分が想像しているもののギャップがあった時になかなか伝わらない.
例を出しすぎても,支離滅裂なことを言っている様に取られてしまってはよくないし.

どうしたら,もっと自分の言いたいことを伝えられるようになるだろうか?

どうしたら親父にも分かりやすく,納得してもらえるだろうか.

自分はイメージ先行で話をしやすい気がする.
頭の中には常にビジョンというか,画像があってそれを伝えようとしている.
しかもそれが何枚もあるときもある.

だから,言葉にしてしまうと,とても限定されすぎて,
相手にはその画像の一点だけしか伝わらないことが良くある.
そして相手はその一点だけにとらわれてしまって,
結局全体として言いたいことが伝わらないってことがこれまでにも繰り返されてきた.

ああ,そうか,だったら紙芝居みたいにすれば伝わるのか?
頭の中の紙芝居,ストーリーを組み立てればよいということか.

ゆっくり話しているときには,それができているな.
そして,相手にもよく伝わっている気がする.
だけど,焦ったり,緊張したり,急ぐとそれができなくなっている.

結論から話さなければいけないときも,まだうまくできていないかな.

今日の話:「話は紙芝居で.」